明日で東日本大震災から
13年が経過します.
ここ5年は当日に
更新していましたが,
今年は平日であり,
私は兼業先で仕事のため
一日前に更新しておきます.
2024年は元旦から
能登半島地震が発災し
災害は忘れた頃にやってくるなぁ
と改めて思った次第です.
13年前の3月11日も
震災が起きるとは
全く考えてもいませんでした.
毎年のように書いているかもしれませんが
私は東日本大震災があったからこそ
今の自分があると思っています.
おそらくあの震災がなければ
呑気に生きていたのかもしれません.
確かあの頃は,働いていた病院を辞めて
違う場所で働こうと考えていたと思います.
そして,作業療法士として
「作業」とは何か?
を一番考えていた時かもしれません.
そんな時に震災が起こり
病院でクライエントとOTすることは
非常に大切なことではあるのですが,
被災地では多くの方々が
辛い想いをされているのに
こんな呑気に病院で
OTしていて良いんだろうか?
と悶々としていたことを思い出します.
結局は後先考えずに
病院を辞めて
南相馬で訪問リハステーションを
立ち上げると言う話を聞き付け
真っ先に事業説明会に
乗り込んだと記憶しています.
南相馬に行く前から
福島や宮城で
ボランティア活動はしておりました.
そのため,
様々な場所で
津波に押し流された
街の光景や
原発事故で帰還困難区域となり
道路にはバリケードがされ
人が誰もいない光景も
目の当たりにしました.
あの被災地で見た光景は
今でも時々思い出します.
今ではどの被災地でも
街は綺麗になっており
復興をしているような感じはあります.
しかし,
まだまだ人の心の復興は道半ば
なんじゃないかと思います.
最近,福島や宮城に住んでいる方々と
直接お話しする機会はありません.
なので,
どのような状態かは分かりません.
もしかしたら,
完全に復興した
と言う方もいることでしょう.
けれど,
あの13年前の被災地の光景は
消えてなくなりましたが
表向きな復興だけが
進んでいるだけで
心に傷を抱えた方々が
多くいるんじゃないかと
私は思っています.
そのような方々に対して
残念ながら私は何もできません.
福島や宮城・岩手にいる訳ではありませんし,
なかなか行くこともできません.
では何が出来るのか?
これは何万回も思考したことです.
結局のところ
目の前のことを必死にやるしかない.
そして,
自分の行動が
福島や宮城・岩手に届くようにやる.
行動したとしても
届かないかもしれません.
けれども,やる,やり続ける.
これしかないと思っています.
能登半島の方々も
今も辛い想いをしている方々が
まだ多くいることでしょう.
その方々を支えたいと考えている方や
今,支えている方もおられるでしょう.
先は長いです.
現地で踏ん張る人.
現地ではなく他の土地で踏ん張る人.
どちらも必死でやり続けましょう.
私は東日本大震災が
あったことを忘れませんし,
これからも遠く離れてはいますが
南相馬や女川のことを考えながら
自分の行動が二つの街に
届くようにして参ります.
復幸するその時まで.
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